神楽舞
道行きは快適なドライブだった。
天気もよく、開け放った窓から吹き抜ける風が心地よい。
市街地から次第に山道になるにつれて家々が疎らになるのに反して、初夏の青々とした葉を茂らせた
木々が目に付くようになり、次々と窓の外を流れて行く。「なぁ、じいさん」
ハンドルを握って、借り物の車を全く危なげなく操ってみせているハインリヒが助手席のコズミ博士
に話し掛けた。
「うん？」
元来細い目を更に細めて、窓の外の景色を楽しんでいた老博士が穏やかな視線をハインリヒに向け
る。
「･･･言われるままにこうして車を出したが、そろそろ何があるのか教えてくれないか？」
ギルモア邸にハインリヒが滞在しているのを知ったコズミ博士が小旅行の誘いの電話を掛けてきたの
が昨日のこと。
詳しいことは後のお楽しみ、と、詳細を話すことはせず、コズミ博士はハインリヒをこの山奥の地ま
で連れ出していた。
「ふむ、そうじゃったの」
コズミ博士はポン、とひとつ手を打ってゆっくりと話し出した。
「･･･日本剣法の流派に夢幻流、という一派があるんじゃ。地方の山奥に伝わるもので殆ど知られて
おらんが、起源は室町時代まで遡ることができるらしい。その流派を受け継いでいる家の当代はワシ
の教え子でな。明日の祭りで剣舞を奉納するから見に来いと呼び出されたんじゃが、外国の人には珍
しかろうと思ってな、君に声を掛けてみたというわけじゃ」
「へぇ･･･」
確かに日本の奉納剣舞、というものは今まで見たことがない。興味を引かれたらしいハインリヒにコ
ズミ博士がニコリと笑った。
「おや、どうやら見えてきたようじゃ」
正面に古めかしい門扉が開いているのが見える。
近付いていくと『夢幻流如月道場』と墨痕鮮やかに書かれた看板がかかっているのが分かった。「先生！」
車の音で来訪が分かったのだろう。
母屋から出てきた稽古着に袴姿の壮年の男が車から降り立ったコズミ博士に嬉しそうに駆け寄るとそ
の手をしっかりと取った。
「ようこそ、いらっしゃいました」
「久しぶりじゃの、如月君。元気そうじゃ」
コズミ博士も久しぶりに会う教え子の姿に目尻を下げる。
「えぇ、毎日の鍛錬のおかげで元気ですよ。元気でなければ、奉納の舞は舞えませんしね。･･･こち
らは？」
如月は武人らしく、快活に笑うと傍らのハインリヒを見た。
「友人の、アルベルト・ハインリヒ君じゃ。明日の祭りを彼にも見せてやろうと思ってな」
コズミ博士の言葉に如月が目を丸くする。
「先生の、友人、ですか？」
確かに年も（外見は）親子ほども違えば人種も違う。友人、と紹介するには少し無理があるんじゃな
いだろうか。
ハインリヒは苦笑を浮かべた。
「アルベルト・ハインリヒです。コズミ博士は俺の、碁の師匠でしてね。今日は運転手を務めて来ま
した」
ハインリヒの口から出た流暢な日本語に、如月は明らかにホッとした様子を見せて笑った。
「そうでしたか。如月十馬です、どうぞよろしく。何のお構いもできませんが･･･どうぞ祭りを楽し
んでいってください」
「ありがとう。そうさせてもらいます」
「ところで･･･」
微笑んだハインリヒに、如月が悪戯っぽく声を潜める。
「先生、碁、弱いでしょう？」
囁かれた台詞にハインリヒは一瞬きょとんとし、それから吹き出した。
「こ、こりゃ、如月君！！」
真っ赤になったコズミ博士の怒声と、闊達な笑い声が夕焼けの空に響き渡った。＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊
如月家の広い湯殿を使わせてもらった後、ハインリヒは如月から言われたとおりに母屋から道場へ向
かった。
ガラリと道場の扉を開けると、神棚の前に座った如月が一心に刀を磨いており、コズミ博士はその様
子を同じく床に座り込んでじっと見つめていた。
「･･･ほう。こりゃ、よう似合うわい」
入って来たハインリヒに視線を向けて、丹前と浴衣を一つ前にして着たコズミ博士がニコリと笑っ
た。
ハインリヒは貸し与えられた藍色の浴衣を縞模様の入った細身の帯で留めている。深い藍の色がハイ
ンリヒの白い肌を、薄い色の瞳を、月光を集めたような銀髪を更に際立たせていた。
シュッシュッと裾を裁きながら床を歩いてコズミ博士の隣りに座ったハインリヒを見て、如月が刀を
磨く手を止めて驚いたように言った。
「着物を、着慣れているのですか？」
「まさか」
肩を竦めるハインリヒに如月が意外そうな目を向ける。
「･･･浴衣の着方といい、裾捌きといい･･･。並みの日本人より様になってますよ。歩き方にも無駄が
ない。もしや、何か武道をやっていらっしゃるのでは？」
ハインリヒは曖昧に苦笑して見せた。
純粋に武道、とは言えないだろうが、この身体はありとあらゆる武器を使いこなすことができる。そ
れに、今までくぐって来た修羅場は数え切れない。その結果身に着いた動作というものがあるはずだ
った。そんなところが武道家の如月の目には見えてしまうのだろう。
「それが、明日使う御神刀ですか？」
話を変えようと、ハインリヒは如月が手にしている刀を見る。
「そうです。我が家に代々伝わるもので･･･一説には夢幻流と一緒に伝えられた刀だとも言います。
遠い先祖が銀の戦神（いくさがみ）から夢幻流の極意と一振りの刀を授けられたと、古文書に残って
いるのですよ」
「銀の、戦神･･･」
如月は頷くと磨き終えた刀身を舐めるように見て、ようやく納得したような笑みを浮かべると静かに
鞘に戻す。
「明日の奉納舞の内容もそれじゃったかな」
コズミ博士が思い出したように言うと如月が頷いた。
「えぇ。･･･昔、この地に亡者の群れがやってきて村人を苛んだのだそうです。村人達は祠を作って
一心に天に祈りました。すると、天から銀の戦神が降臨して亡者達をその太刀で追い払ったのだそう
です。銀の戦神は１人の若者にその太刀とそれを操る術を教えたんです。それが夢幻流の始まりとい
うわけですよ。それ以降、この村では銀の戦神を祀る社に夢幻流の奉納舞を毎年納めているんで
す。･･･ちょっと、やってみましょうか」
如月はニコリと笑うと神棚に手を合わせて刀を腰に差し、端座して目を閉じた。道場の中に、気が満ちていく。
如月がカッと目を見開き、ダン、と足を踏み出しながら鋭い所作で刀を鞘から引き抜いた。
磨き抜かれた刀身がヌラリと明かりを弾く。
立ち上がった如月は音もなくまるで宙に浮いているかのような足捌きを見せながら、白く輝く刀身を
時に激しく、時に緩やかに打ち振るっている。
その軽やかでいて重く、隙のない流れるような動きは完成されていて美しいものだった。
宙を舞う蝶だろうか。水を泳ぐ魚だろうか。風を切る飛燕だろうか。「･･･お目汚しをしました」
気が付くと如月が刀を鞘に納めて人懐こい笑みを浮かべていた。
「いや、これは見事なものじゃわい」
コズミ博士が肩で息をついた。あまりの緊迫感に身体が強張っていたようだ。
「完成された動きですね。さすが、歴史のある流派です。素晴らしい」
「田舎剣法ですけどね」
ハインリヒの言葉に照れたような笑みを見せながら、如月は神刀を神棚に納める。
それを目で追っていたハインリヒは神棚の下に置かれた漆塗りの箱に目を留めた。
「その、箱は･･･？」
「あぁ、明日纏う衣装と面が入っているんですよ」
如月は箱を持ち上げて戻って来ると蓋を開いて見せた。
白い練り絹に金糸、銀糸を使って緻密な刺繍を施された大袖と、黒いビロード地に煌びやかな文様が
織り込まれた陣羽織、金襴の袴。そして、小ぶりな木の面と黒の烏帽子が納められている。
箱から出されて床の上に広げられた、初めて見る衣装の豪華さにハインリヒ圧倒されていた。
「昔はこれほど派手ではなかったはずなんですけどねぇ。今は、神の衣装ともなるとこんな風になっ
てしまって」
我が家で一番の値打ち物ですよ、と言って如月は笑った。
「この面だけは、昔から伝わっているもので･･･銀の戦神の面を写したものだと言われているんで
す」
如月の手から面を受け取って、コズミ博士が首を傾げる。
「･･･神面、しかも武神面にしては随分繊細な面じゃの。まるで姫面のようじゃ」
「･･･？」
不思議そうな顔をしたハインリヒに如月が言葉を添えた。
「普通、武神のような男神の面と言うのはもっとごつくて厳めしいものなんです。ところが、この面
は厳めしいと言うより優美でしょう？きっと、銀の戦神という方は余程美しい神だったのでしょう」
コズミ博士から面を受け取ったハインリヒは、その表情をじっと見つめる。
静かで、優美な。それでいて怜悧な表情。これが神の表情というものなのだろうか。
「･･･どことなく、君に似ておるの」
コズミ博士がニコリと笑うのにハインリヒは、まさか、と苦笑しながら肩を竦めた。＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊
深夜。
夕食の膳を囲み、美味な日本酒の杯を重ねながらコズミ博士と如月を相手に囲碁に興じた後、心地良
く床に就いたハインリヒだったが不穏な気配を感じて目を覚ました。
暫く息を殺して気配を窺ったが、決して気のせいではないことを確信して布団の上に起き上がる。
「･･･どうか、したかね･･･？」
隣りで眠っていたはずのコズミ博士も目を覚ましたようだ。
「何か、妙な気配が･･･」
ハインリヒが言ったとき、道場の方から大きな物音と叫び声がする。
「道場だ！」
ハインリヒは弾かれたように立ち上がると廊下へ続く襖を開け放って走り出した。道場に駆けつけると、月明かりの中、神棚から刀と衣装の納められた漆塗りの箱を持ち出そうとして
いた黒ずくめの集団がハインリヒの姿にギョッとしたように動きを止めた。
「･･･貴様ら、そこで何をしている･･･？」
低く、底冷えのするような声が黒ずくめの男達の足を決定的に縫い止める。
「･･･う･･･」
床に蹲るようにして倒れていた如月が苦しげに呻いた。
「如月君！」
遅れて道場に駆けつけたコズミ博士が慌てて如月の身体を抱き起こす。
「刀･･･を。御神刀･･･を･･･」
「大丈夫じゃ、心配するな･･･」
ハインリヒは自分を見上げたコズミ博士にチラリと視線を流して頷いた。
再び視線を黒ずくめたちに戻して、すい、と一歩踏み出す。
すると、黒ずくめたちは一斉に刀を抜くと襲い掛かってきた。凶悪に煌めく白刃の影を横に、上に躱しながらハインリヒは密かに舌打ちをする。
さすがに如月を倒しただけあって黒ずくめたちはかなりの手練だった。お互いに一言も発せず、凄ま
じいまでの殺気を篭めて刀を振り下ろしてくるその太刀筋にも無駄がない。
とはいえ、相手はただの人間である。彼らを相手にマシンガンやレーザーナイフ、果てはミサイルま
で使って騒ぎを大きくするのは愚の骨頂というものだ。――― さて、どうするか。
そう思ったとき、御神刀を持ち出した男がそっと乱闘から離れて出て行こうとしているのに気付い
た。
「逃がさん･･･っ！！」
ハインリヒがその男に向かって袂から取り出した礫を放つと、男は奇妙な声を発してその場に昏倒す
る。
他の男達が振り下ろす刃を掻い潜ってハインリヒがその男に走り寄り、男が抱えていた御神刀を取り
戻して庭へ続く引き戸を開け放つ。
滑り込んだ月光が道場を明るく照らし出す中、ハインリヒは手の中の御神刀をスラリと抜き放った。
握った刀の柄は、不思議とハインリヒの手に良く馴染んでいる。
「さて･･･」
銀の光の中でハインリヒが不敵に微笑んだ。
「そろそろ、反撃させてもらうぞ？」白銀の刃が風を切る刃音、打ち合わされる斬撃。
黒ずくめの間を縫うように足を捌きながらハインリヒが手にした御神刀を振り下ろすたびに、磨かれ
た刃が月の光を華麗に弾いた。
水が流れるように緩やかに相手の尖先を躱したかと思うと、雷光のように鋭く懐に飛び込んで下から
薙ぐように相手の急所を的確に捉えていく。
その澱みない動きはまるで完成された舞を見ているようだった。
「･･･せ、先生。あの人は一体･･･」
コズミ博士に抱えられた如月が低く呻く。
「見せてもらった夢幻流の舞に似ておるの。･･･彼は時を越えて甦った武神なのかもしれんて」
夢幻流に似た、しかし荒々しく美しいその所作は確かに夢幻流の源流とも見える。
コズミ博士の穏やかな声を聞きながら如月はハインリヒの戦姿に見入っていた。時間にしたら、それほどの時間は経っていないだろう。
地上を照らし出す月の位置は殆ど変わっていなかった。
「･･･っ、と。これでよし」
気絶している黒ずくめの男達を全て身動きできないように縛り上げると、ハインリヒは月光に透かす
ように刃に目を走らせた。
あれだけ刃を打ち合わせたというのに、御神刀の刃は刃毀れもなく静謐な光を放っている。
ハインリヒはホッとしたように刀を鞘に納めると、少々乱れた浴衣の前を合わせてコズミ博士と如月
の元に歩み寄った。
「怪我の具合は」
「うむ、肋骨を痛めておるようじゃが･･･折れてはおるまい。今、警察と救急車を呼んだところじ
ゃ」
コズミ博士の言葉にハインリヒが頷いた。
「折角の祭りが･･･台無しになってしまいますね」
「･･･大丈夫ですよ」
少しばかり残念そうに呟いたハインリヒに如月が笑った。
「ここに、本物の『銀の戦神』がいらっしゃるから」＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊ ＊
「だから！無理だって言ってる！！」
日が暮れて、奉納舞の舞台である社に篝火が焚かれる頃。星が瞬きだした藍色の空にハインリヒの悲
鳴が響いた。
「なんのなんの。昼間のリハーサルでは問題なしじゃったろうに」
ニコニコといつもと変わらぬ笑みを浮かべているコズミ博士が、今日ばかりは小憎らしい。
「俺は、夢幻流の作法なんて知らないし、そもそも日本人じゃないんだぞ！？昼間だって呆れられる
だろうと思って楽の音に合わせながら適当に刀を振っていただけだ！」
「銀の戦神が日本人であったかどうかなぞ、誰にもわからんわい。如月君がそれで良いと言ったじゃ
ろう。･･･それに、その格好で今更往生際が悪いぞい」
コズミ博士は邪気のない顔でホッホッと笑った。
そう。ハインリヒは今、例の衣装を身に纏っている。白い練り絹に金糸、銀糸を使って緻密な刺繍を施された大袖。
黒いビロード地に煌びやかな文様が織り込まれた陣羽織、金襴の袴。
黒の烏帽子。
手には御神刀と古い木の面。「〜〜〜〜〜！！」
いかに、ハインリヒでもコズミ博士を言い負かすにはまだ相当の鍛錬が必要であるようだ。
「心配せんでも、良く似合っておるよ。･･･おっつけ、病院から如月君たちも到着する頃じゃろう
な」
「･･･如月君、『たち』･･･？」
似合うか似合わないか以前の問題なんだ、と思いつつ、サラリと口に出されたコズミ博士の台詞に引
っ掛かりを覚えてハインリヒが言葉尻を捉えると、コズミ博士は楽しそうに笑った。
「うむ。昼間、ギルモア君のところに電話しての、彼らも呼んだんじゃよ。君が代理で舞うことにな
ったと言うて。途中で如月君が入院しておる病院に寄って、彼と一緒に来るということになっとる。
そうそう、ジョー君が今国に帰っている仲間たちに後で見せるとかで、デジタルカメラを持って来る
と言うておったわ。･･･よかったのぉ」よくない。ちっともよくない！
ポン、と肩を叩かれた瞬間、ハインリヒはそのままそこに沈んでしまいたくなった。
月明かりと篝火の幽けき光の中、厳かで雅な和楽に乗せて見事な剣舞を奉納した銀の戦神が、その優
美な面の下でどんな表情をしていたかは、誰も知らない。（ＥＮＤ）
御本人コメント：
しんさん、和装祭り開催おめでとうございます。参加させてもらえて嬉しく思っております♪
しかし･･･長い（爆）。
すみません、どうも文章を短くまとめるのが苦手で（涙）。ともあれ。
祭りです！祭りなんです！！
祭りであれば多少の無茶は利くんです！！（ホントか？）
なので、細部はいろいろ突っ込まないでくださいね♪
作者からのフォローは・ハインリヒは全身人工皮膚仕様
・ハインリヒが袂から投げた礫は碁石（取った碁石をなんとなく入れてたんでしょう）以上２点のみでございます！では！（逃走）
開け放った道場の月光の下、和服姿で神刀を手に不敵に笑うハインリヒ、かっこいいです〜〜
（異様に似合いそう(^^;)）
碁石投げるとこが市やんみたいだし♪
さて、仲間の前で舞うハメになってどんな表情してたのやら‥‥ですね(^m^)
れんさんの素敵サイトはこちら♪
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